2011年06月13日
山菜とりに人間の深層心理を垣間見た
昨日、大井沢にワラビ取りに出かけた。勿論、誘う人と現地案内人が居て、しかも畑のように山の斜面が整地され、草も無く、ワラビの群生の感じであった。勿論、開いたワラビがもったいないくらいの群生していた。しかも、ワラビは30㎝くらい伸びるケースもあるとの話しでした。拠って、毎日収穫しないと無駄が多くなる。けれど、其れには気根よく行動してはたらかなければ成らないが、とても現地の土地所有者が高年齢であり、対応できない現状らしい。話しによると、今年は3回の入山しかして織らず、それなりの手入れがなされていないとのこと、来年は?このワラビ取りのスタートがなされると誰もが一目散に、しかも頂上へ向かって進むのであるが、目先のワラビで、かつ有る高さのワラビ以外は目に入らず進軍だけである。その後から追っかけると、長く、太いワラビがの沢山のある。これは人間の本能かもね。でも誰もが話しもせず、一目さんである。小生は欲のなさか、最低の量しか収穫(10kg)出来ずに帰宅した。他のメンバーは約20kg/時間で収穫した。これは慣れと目的の関係から勢い、或は姿勢が違うのである。小生は近所にわけあっれれば良いくらいの基準であるが、他の人はりっくに一杯で、重くても気にせず観ぜずに取りまっくったと言っていた。これは人生に於いても同じと思う。故に目的のない仕事、行動は中途半端になると。