2010年09月15日
目前の状況判断の民意に思う
昨日から今日と、民主党党首選びの選挙でマスコミは、フルタイムで総力で報道している。しかし、現象のみの情報提供と裏に隠れたある方向性の真意がベースに成った。放映に成っているように見える。実際は企業にもそれなりの指針があり、民意と関係なく取材して一方向からの情報提供に成っているのが通常である。しかも、丁寧にアンケート結果まで添えてある。しかしながら、民意は歴史を紐解くまでもなく、目前の最適判断が現われる傾向がある。しかしながら、その時は一時的に良いが、5,10年経過後にシュミレーションすると、大きな課題を見逃した事に気が付き、その修正に莫大な費用と能力を掛る必要が出てくる。事例は解りやすく、10数年前の名古屋市の市長選で大学教授が地域の民意を主体に訴え、当選したが、10年後に反対した道路の拡幅をせざるを得ない状態である。また、ある国道沿いの集落もその時の民意で拡幅せずに、徐徐にシャッターどうりになり、新規の開発都心部が発展の一途を辿っている。また、ある市の中心部に核となるショピングセンターの出店が具体化した最に、近隣の温泉街が主体となって大反対運動をして出店を阻止した。しかし、あれから15年後のこの中心部は過疎化である。都心に核がなく、ただのバラバラの配置で平屋建ての店が散在して、発展の兆しどころか、衰退の時間延長に見える。即ちリーダの方針が民意と反対のケースが将来を見据えた事例が枚挙に問わない。政治家はその影響が大きい分、目先での判断は極めて重大な過ちを招くケースが多い、全ての事案でないが、生活に直結した事案は病気の治療と同じで、手当は必要位のスタンスで対処する器量が欲しいですね。今回の首相選挙でまた、時代の逆行を臨んだ民意に日本の将来に危機感が増幅され、国際的な判断もマイナスに傾く危険性を感じる。
Posted by ターさん at 10:00│Comments(0)
│社会サプリ