国難は自分難に直結する。

ターさん

2011年06月10日 14:47

ここしばらく投稿を止めたが、時間的は余裕が無かったのが事態である。しかし、時間は創り出すモノであり、理由には成らないのが現実である。それは、投稿の意味を再考し始めたからに他ならないのかも?単なる思いつきでの記録で有れば、それなりの感想で良い。しかし、何らかのメッセージを伝えて共感者と今後の展開を模索する思考があると、殆ど反応のない現実に愕然とする。勿論、期待して投稿する側にも大きな課題がある。通常の投稿には自分の感想を書くだけの日記的扱いである。人の日記を見て何と感想や共感を相手に伝える必要があるのか?やはり、全て自分の思いを単に開示する場になるだけの場であると。何か空しい気がするが、もし反応を期待するならそれなりの仕組みや利害が必要なことかも。何らの損得もなく善悪も関係しない事案には反論が湧くことがない。最近の社会現象のAKB48なる選挙に日本の若者が一喜一憂して現実に何故か?私だけがおかしな気になるのか?一次の楽しみにこの種アイドル現象は面白いが、CDなどの想到の原資が必要な事であり、単成る感情で購入する枚数を遙かに超えた人も多々いる。ファンだからで片づけるには、余りにも深層が浅い。趣味だからいいのでは?でも世のマスコミがこぞって扱う内容か?この重大な国難に有りながら、全くその感情が見えない現象に違和感がある。何時までも落ち込む必要が無く、前向きの一環だからと言えるか?このようなエネルギーを現実の課題にぶっつけて欲しいだけである。増して若者は、

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