2013年06月25日
人間って,一寸さびしくない
人間の役割
最近、人間は何のために生まれてきたのか?あるいは、何をしたいのか?と疑問が湧きます。それはいつも送信してくれるある知人が、小学校時代に父親に何故、勉強するのですかと、と質問したらまずは大学に入るまでに勉強してそれから考えてみろと。しかし、大学を卒業してからもその意味が解らず、結局、70歳近くになっても??だと。結局は答えが出ないことになりながらこの年まで生きてきたし、これからもその延長線で行くだろう。人間は結局社会進化の一役になるために生き延びるのかと思える感じがしてしまう。これが役割なのかと?それにしても人間社会は、何故、進化しなければならないのか?勿論、より豊かに、より楽に、より便利になること等が好ましいが、これは以前に対しての比較である。やはり、人間は現状に満足せず、進化に挑戦する本脳があるのかも?または種の保存のために天命のごとく改善や進化を目指してきたのかも?いずれにしても、世の中の仕組みを考えると人間社会の進化に連携していない業種がない事が分かる。そのために自分お才能、能力、得意分野を裁断源発揮した人がこの社会環境にマッチして成長するのでしょう。その場合は、成功の事例、逆が失敗の事例、あるいは学びの事例になるのでしょう。会社もすべてその仕組みの中に組み込まれたモノであり、社会進化のなかでの自社の役割の確認は、人生の役割の確認と同じ気がします。その際も、やはり最高に効率や能率やコストを削減した企業が優先され、勝ち組になる。人生も同じ理屈であり、自分の才能を最大限発揮した人が思い通りの人生を歩み、成果を上げ、優雅な人生を過ごすことになる。もしも、これが人間の使命、役割なら、一寸、つまらない気がしますが、種の保存とその進化は自然界の変化に順応する意味合いからも、自然界の変化に生身では無理なケースもあり、その対策が要求されるからである。でもなぜかむなしい気がします。自分の意思に関係なく宿命的にシステム化されているのに脅威と違和感と虚脱感が生じる。結局はこの目的のために、争ったり、競争したり、戦闘したり、泣き、笑いなどしてこの役割を承継していくことなのかと思う。一寸、大事な事柄であるが、何故かしっくりしない感じである。
最近、人間は何のために生まれてきたのか?あるいは、何をしたいのか?と疑問が湧きます。それはいつも送信してくれるある知人が、小学校時代に父親に何故、勉強するのですかと、と質問したらまずは大学に入るまでに勉強してそれから考えてみろと。しかし、大学を卒業してからもその意味が解らず、結局、70歳近くになっても??だと。結局は答えが出ないことになりながらこの年まで生きてきたし、これからもその延長線で行くだろう。人間は結局社会進化の一役になるために生き延びるのかと思える感じがしてしまう。これが役割なのかと?それにしても人間社会は、何故、進化しなければならないのか?勿論、より豊かに、より楽に、より便利になること等が好ましいが、これは以前に対しての比較である。やはり、人間は現状に満足せず、進化に挑戦する本脳があるのかも?または種の保存のために天命のごとく改善や進化を目指してきたのかも?いずれにしても、世の中の仕組みを考えると人間社会の進化に連携していない業種がない事が分かる。そのために自分お才能、能力、得意分野を裁断源発揮した人がこの社会環境にマッチして成長するのでしょう。その場合は、成功の事例、逆が失敗の事例、あるいは学びの事例になるのでしょう。会社もすべてその仕組みの中に組み込まれたモノであり、社会進化のなかでの自社の役割の確認は、人生の役割の確認と同じ気がします。その際も、やはり最高に効率や能率やコストを削減した企業が優先され、勝ち組になる。人生も同じ理屈であり、自分の才能を最大限発揮した人が思い通りの人生を歩み、成果を上げ、優雅な人生を過ごすことになる。もしも、これが人間の使命、役割なら、一寸、つまらない気がしますが、種の保存とその進化は自然界の変化に順応する意味合いからも、自然界の変化に生身では無理なケースもあり、その対策が要求されるからである。でもなぜかむなしい気がします。自分の意思に関係なく宿命的にシステム化されているのに脅威と違和感と虚脱感が生じる。結局はこの目的のために、争ったり、競争したり、戦闘したり、泣き、笑いなどしてこの役割を承継していくことなのかと思う。一寸、大事な事柄であるが、何故かしっくりしない感じである。
Posted by ターさん at 11:33│Comments(0)
│人生サプリ