2011年12月13日
生きている証は?具体的に何をしたかだと。
知人から来た情報では、「大人は虎変す、君子は豹変す、小人は革面す」と古代中国で言われていたと。革は「改める」で、面は「つら」であると。これは野田総理の駅前説法20年いたいする人の判断基準を事例にした者である。古代中国では、「情勢の変化に頓着せず、素志を貫徹するしか能のない男を【小人】とみなし、軽蔑した」臨機応変、機敏な判断力が求められているのに、玉砕覚悟で猛進するだけの男を【小人】とみなし軽蔑したと。さて、これは今回の問責決議案に対する現状の野田首相を差しての話しである。現状では、問責された2人を罷免せず、続投は資質を問われた人に、何ができるのか?そして、この破れかぶれの難破船に同意する国民は?やはり、問責されるだけの資質に問題があったことは、事実であり。それを不問は納得の範囲でない。企業でも問題の社員が公式の場で結論されれば、現状に留まることの意味合いが企業の信用や屋台骨をぐらつかせる。そのくらいは当然、首相や周りの参謀も塾量したと思うが?国民は、TVや国会論戦からしか判断出来ないが?事態を知らずに舵取り出来るのか?知識や経験が無くて指揮できるのか?誰が見ても頭をひねる事態に思える。それにしても「小人は革面す」なのか?いずれ通常国会ではっきりすると思う。ただ、国民不在の政治に何故、政権交代を可能にしたのか?幻の夢だったかも?それなら早く目を醒まして正道に戻し、それから進むべき道をガイドするのは筋と思える。解散は政治家?国民にとても良いか悪いのかと、新聞紙面で論戦を戦わしているが、まず正常な判断立ち返り、国民主権の本当の意味を理解する時であり、格差だらけの現状に鉄槌を加えるべきと誰もが思うが?やはり何をしたかの結果が全ての判断基準である。動機で無い。
Posted by ターさん at 11:51│Comments(0)
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