2011年05月23日
男の賞味
最近つくづく思うのは、男は定年の60才が大体のサラリーマンの賞味期限の感じがする。その後は、生活のためのシニア採用で以前の半額の給与で不満足であるが勤める。しかし、これはあくまでも生活維持の源泉のためであると割り切っての対応にすぎない。その内心は、夢も希望もなく、無味簡素で、企業からも期待されず法律に従って遵守したに過ぎず、組織的な権限も与えられず、余禄の仕事、やってもやらなくても良さそうなサポート的な仕事中心になる。この悲哀は、経験者でないと理解できないかも。勿論、小生も1年だけ、顧問の経験をしたが、この場合は、まだ次のステップをするための準備期間であり、企業に対する意欲は低下していたかも知れないが、その後の事業展開には、リスクと夢と希望がちりばめていたのであり、無味簡素な企業内生活とは、全く違う感じであった。しかし、シニア採用の人は、何を楽しみに、何を成果に、指示どうりの仕事を責任者から言われた内容をこなす、機械的人間であり、能力も才能も評価がされにくい業務になる。しかも、そのような生活が長くて65才まで、それまでに失点を犯せば、翌年の延長はあり得ない。勿論、指示どうりで責任の無い仕事のため失点もあり得ない。しかも、若い時から横の繋がり、企業内組織の繋がり、之に係わる関係者の繋がり、実質的には縦社会の繋がり以外の手段を持たない長い人生のつけが、人生の第2の人生のスタート時に顕著に表れる。すでに遅い課題である。それに対して女性人は、若いときから横社会も一生懸命であり、人生の中間で退職しても直ぐに次の生活に移行できる柔軟性が訓練されている。勿論、定年後などは、この横楯の入り乱れた関係を縦横無尽に活用して楽しい各自の生活をエンジョイしつつ繋がりを活用する芸当ができるのである。その証拠は、長生き、各種催し物、旅行団体、商売の代理店応募などにも顕著に表れる。先日もある商品のエーゼント募集を兼ねた見学会に出向いたが、ほぼ9割以上はおばちゃん達でした。これは、異様な感じであり、男性が入り込む事自体が異様な感じの雰囲気でした。勿論、主宰者も分かり切っており、邪魔者年老いた男の存在が目障りの話しを皮肉ぽっく語り、理屈でくる男人を牽制していた。定年後の男性よ、この現実をひっくり返す行動を一人でも多く行動へ移して欲しいモノである。
Posted by ターさん at 15:42│Comments(0)
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