2012年10月09日
ある老創業者の現在の心境は、
先日、久々に80歳以上で一応、会長職、創業者であるがゆえに企業の象徴的な意味と、万一の事態の際の社内のまとまりの求心力の中心としての価値から存在する立場で、自由気ままにふるまえる。勿論、それをいかんなく発揮しているわけでないが、それなりの威厳がある。これこそは創業者で一代で気づけあげた企業の規模にそう隠れた力でる。そこで日本晴れだだったこともある、創業者の夢に絵がいて工場建設して新商品の操業を行った約2万坪の敷地に出向いた。そこにはこの経営者が夢にまで見た未来商品の兵どもの夢の跡があった。勿論、この敷地は厳然とこの企業の所有地であり、2棟のうちの1棟が気鋭さっぱり、処分され更地になっていた。しかし、この商品は今から要求される商品だと言明して、この現実を残念がっていた。しかも、今は生活も技術も好みも回帰に向かいつつあり、必ず繰り返される商品のサイクルである。それは単純化への回帰である。それは一例に盛るまでもなく、多色の服装から単色の記事に、あらゆるものがそのように繰り返される。勿論、そっくりでないが基本思想は同じである。その話をしながら工場跡地と現在の1棟の工場に入ったががらんとしており、研究員が数人消数人きているが、研究現場には、一人がある実験の準備をしていた。久々に会ったが、独り立ちした感じがした。そのご工場敷地を回りながらリバーサイド工場であり、環境と景観を併せ持つ理想の僻地の工場思想が今は、無残にも活気のない工場になっていた。しかし、この創業者は最近、死が近づいあっとか言ってやりたいことが山ほどある。これまで創業し、成功した商品になぜ、こだわったのかとかいうて、この近くの建設業者に立ち寄った。勿論、現地ではこの工場建設やその管理や敷地整備に関連した企業であり、会長や常務が迎えてくれた。そこでもこえからやるべき事業の案を縷々説明した。相手の関心度合いは、話を合わせるか?うなずくか?たわごとと聞いていたか?定かでないが、創業者の会長は、帰りの車中で相手の反応をしきりに聞いた。しかし、わたくしは多分、話はわかったが提案だけの話には、あくまでも話だけの感じに見えた。だれでも提案者が主体的に動く、その先導をになわずに具体化するはずがない。それは多分、この老会長もわかっているが、言わずにいられないと。このような話から、やはり長期の企業展望と自己人生のありかたの関連を概念てきにでも組み込んだ総合的な企画が必要だと感じた、しかも、側近を信ずることの難しさの一端を垣間見る聞きたくない話を何回も、しかも来るたびに話すこの会長に、むなしさを感じた。しかし、元側近としては、それでも地位を勘案して元気に動き回る姿に寂しさを感じる。これは実が伴わないからかも。ステージの変化に敏感になる老会長であたったが、やりたいことが次から次へと思いつく話に時代の変化が浮き彫りに映る。さて、当方はどうせうべきか?