2012年05月21日
チャレンジャーの心意気
今日、ある個人開発者に特殊な技術の話しを聞きたくて出かけた。そこで彼の話は、何時もながらの補助金の無意味を叫んでいた。それは国家資金(税金)を当てにした補助金で必要な高額装置を購入する手段に利用しているケースが多々あると。それは企業の規模に関係なく、活用して自己資金のムダや社員の熟練に利用していると。それはそれなりに意味があると思うが、何時もの企業のケースには違和感を覚える。平均は必要ないが公平は遵守すべきである。しかし、補充金を獲得できるにはそえなりのテーマと規模が要求される。無駄金を補助金に活用したくないのは当たり前ですが、それでも申請がなければ予算消化でやも得ない制度に成っていると。もし、補助金湧くが余れば、次年度はその分、削減される予算に成るからである。このあたりは、もっと柔軟性のある運用が求められるかも。でも補助金を申請するだけでも積極姿勢と見たいが、この人はそれは違うと、経営の運用資金までも利用しているのだと。補助金の実績データや検証が無く、単成る報告書であり、幾らでも描けると。実際は?しかし、この知人には何時も凄いと思う。全勢力を開発に命がけで賭けている姿に、?このような姿勢は何処でも取るのが当たり前と、お金の価値、生み出す価値を熟知しているから出る。しかし、何時も愚痴るのは、公務員はその感覚があるのか?かれの目には、全く別に映っているのです。税金泥棒の感覚である。給料分の仕事をしていないと。さて皆さんは?