2011年03月14日
現実の旧変に当惑
今朝、℡で地震のお見舞いの℡があった。その話しの中で、首都圏の事務所のトップは、交通機関のストップで結局自宅に帰れず、事務所に泊まり、翌日も帰れず、息子のアパートに泊まったと。ここまでは誰もが経験する話しである。その後に、来月からの定期的相談会を辞退することにした。それはある規制があり、名義変更ではブランチをおくことが出来ないとの話しでした。そこで、相談会の辞退を決めたと。また、ブランチの処遇については具体的な話しはまだ無いが、いずれ今月中にはっきりさせるつもりである。そのチャンスは、18日に山形に責任者が来るんでそこで結論を出す予定です。しかし、東北新幹線がこの時まで開通するか?らしく、その行く経も微妙とのこと。そしたら、どのように対応して結論をだすか?それは℡での対談、また、夜行バスによる上京での直談判、それ以外は、自家用車での上京もあるが?しかし、この場合はガソリンがネック。当方は、地域の中小零細企業の下請脱皮や個人発明家の商品化への支援策で地域の活性化を図り、社会進化に大きな力を発揮するエリアにすることを微力では有るが一生続けたいと思っていた矢先である。勿論、この事務所だけしか手段が無いわけでないが、一つずつ結論を出してからの次の行動に移る予定である。地域の活性化と中小零細の企業の優れた技術を活かして下請からの脱皮と自社ブランド確立と個人発明家の意欲を活かす手段の声援アドバイスでニッチ市場でのNO、1の発掘と育成が最大の役割と思って行動することに変わりはないが、最終的な結論までは時間が必要になる。このようになれば地域との密着が最優先となる。
2011年03月14日
地震の体験
東北地域関東大地震の時、丁度、事務所にいたが急に大きな横揺れの振動で事務所を飛び出し、道路にでたら、そこには沢山の人が電柱の横揺れや電線の揺れ、地盤の変動に自分が揺れとぃる感じでした。今まではこのような大きな揺れを身体で感じることがなかった。それにしてもm9,0はこのような感じかとあとで解りました。道路の歩道に立っている人は、車から出てきたとか?関係なく外に出たようである。幸いにも被害らしいものは無く、停電のためその日は帰宅した。しかし、自宅も停電であり、暗闇の中、一晩、ろうそくと懐中電灯と湯たんぽで過ごした。こたつの中に、湯たんぽを5個入れて暖をとった。しかし、寒さは感じるがTVも、ラジオも無く、全くの情報遮断の一晩であった。そのため、寝ることしか手はなかった。でもぐっすりは余震の事もあり、眠れなかった。翌日夕方、電気が通り、初めてTVを見たときには、あまりの光景に声も、目も疑った。さらに、動画的な津波の勢いを示した画面では、人間の無力と天然自然の巨大は力に如何に無力かお思い知らされて感じに思えてた。その中でも助かる人がいるのですから運は解らない。其れに引き替え、被害に遭わなかった人は、何て幸せなのか解らない。すこしでも被災地に支援は誰もがもつ感情である。空から移すTVの映像には、何でも感じしか湧かない。ただただこれからの再起を願うしかないと思う。株価の10000円割れは、日本経済の先に暗雲が見えるが?