2009年05月21日
補正却下に困惑
先程、連携する事務所から、【補正却下】の通知が送付されてきた。しかも、審判事件での補正却下である。勿論、最初の明細書に記載されていない事項を拒絶査定に対する審判請求時に補正してことに対する却下である。之提出時に出願人もチェックして了解を得て提出した事案である。しかしながら、出願人としては、補正時にプロがもっと、指摘してくれるのが筋の理屈がでると予想される。当然、小生が出願人とした際は、反論したくなる。それも安くない費用が加算されて居る事案である。その上、このような書面を出願人に届けることは、非常に厳しいシーンが予想される。しかしながら、現実は却下が書面で着ており、理由もハッキリしている現実に、素直に説明するのが中間に人間の役割である。けれど、この案件は企業の主要製品の基本的な発明であり、簡単に納得する事案でない。勿論、対処法は有るが、引例が凄く、反論に窮する感じ出る。理由が進歩性無しの判断であり、約6つの先行公報が列記されいる。数が多いことは、ズバリがないから反論できるケースが多いのですが、このケースはそうは容易くない。補正却下の費用は戻せと言われかねない感じがする。再度、反論すれば又、経費がかさむのであり、ここで中止も、おかしな結末、ココマデ対処したら最後まで戦うのが企業の姿勢である。勿論、可能性があればであり、これ以上の出費は無駄金では、放棄を進言せざるを得ないのである。いずれにしても、時間的に来週は何らかの結論を持参せざる得ないのである。その後の結論は?
2009年05月21日
雑感(5)
今日は、家内の関係で大学病院に同行した。所謂、運転手として連れていきましたが、数回訪れた病院で、患者を含めて多数の同伴者も居るはずである。その中で、やはり患者は高齢者か年齢の高い人が多い。しかも、皆、元気さにかける感じがする。そのような雰囲気の風貌が目に映る。小生も、いつかはこのような運命にあるのかと思いながら、ゾーットした。人生の終焉近くがこのような嬉しくない環境の中で世を去ることになると思うと、何故か忍びない。よく、精神が病魔を駆逐すると言われて居るが、科学的な根拠はない。しかし、悲観者と楽観者(病気に笑いながら立ち向かう人とで)現実的なデータでは数倍寿命が伸びているそうだ。一概に楽観者、或いは病気に対抗できる意志の持ち主が、すべて同じような結果になるか?ただ、自分に置き換えるとやはり、チャレンジしていることが生き甲斐、あるいは戦いがいがあると思う。何時もながら現在の姿を誰が予測したか?多分、このような経過を辿ることを教育する時期から気づかせる必要があり、すると予防医学の先端的な効果がでると思う。しかも、本人も自覚しながら年齢を重ねられるので全ての面で良い結果が出ると思う。是非、若い人もお見舞いなどで病院に出向く出向く際は、このような視点で観察されると人生観が大きく展開するかも。例えば、如何に生きるべきかなどへ。