2009年01月14日
産業創造のコーデネータを目指す夢
今年は、昨年来のサブプライムローンによる世界経済の落ち込みとその悪影響が金融界から産業界へと浸透してきました。このような環境は、その底で、約3年以上と言われている。しかし、国の経済支援だけは、短期的な面で効果が見られるかもしれないが、長期的な視野では、金の力は即効性であり、永続しない。病気の手術にはピッタシですが、そのごの回復やリハビリは、別項目の要素が不可欠である。金はそれだけの生産性しかなく、それ以上の効果が期待できない。金を有効に活かすには、歴史が物語るように産業の創造が計り知れないあらゆる面での効果が期待できる。それには、金の有効な投資が不可欠である。アメリカは、投資家が沢山存在して産業の創造と収益の還元を生み出している。但し、フェッジファンドのように金融資本主義に走る自分本位の投資家も存在する。殆ど日本では金融機関が投資できる環境にあるが、これらの審査は実績や学者の判断が主体で、市場や予測性と先見性に対するチャレンジが欠けている。それは学者は自体経済や生産現場での経験が無く、机上の理論と判断によるからである。机上の予測どうりに物事がすすめば計算どうりになるが、自然の摂理、歴史、環境は例外の連続であり、非予測性のウエートが高い。しかし、それでもチャレンジする度胸には、信念が存在する。失敗の繰り返しは成功への軌跡の一部にあるが、それが理解できないケースが多々ある。こっらを判断してその確立をアップするには、現場経験者が最大の要因である。勿論、世に出版され、発表されている内容には、過去かtらの予測しか含まれず、未来は単ある延長線の話しであり、非予測性の世界では指針には成っても実用には値しないと思われる。やはり、経験に勝る判断は存在せず、全てがゼロになる事案はあり得ない。このような時代に日本で投資家が現われ、開発者とのコラボレーションで産業創造で産業資本主義のモデル企業の船出に関係して社会の起爆剤に一石を投じられるコーデネータとなれば幸いです。